こんにちはハッカビーズ、そしてさようなら

3日間続いていた申請書作成&プレゼンテーションの集中講義が終わった。3日間(厳密には、講義が3日、課題のための準備日が1日だが)、9:00から17:00まで講義があるのは、かなり厳しい。と思ったら、そういえば4年生の2月にも、TOEFLの特別講義に出て1週間9:00から17:00まで講義というようなことをやっていた。やることは違うけれどどちらもだいたい似たようなハードさをしている。


学校が好きだと思ったことはあまりなかったけれど、そういえば高校の頃は部活動なり、部活動を引退したら授業の準備なりで、なんだかんだと毎日学校に行っていた。高校の頃、芝居を観にいく以外では、ほとんど遊んだという覚えがないので、多分学校が好きな類だったのだろう。外へ遊びに行かなくても学校で十分面白かった。


学校が好きで、海外の学校にも行った。留学ではなくて研修で、シカゴの高校に2週間程度? 確かその程度の長さだったのだけど、もっと行っていた気がする。


いま思い返してみるとそこには学校のすべてが詰まっていたように感じる。夜暗いうちから起きて、あわただしく朝ごはんを食べて、お母さんが運転する車に乗るか、列車に乗って街へ出かけていく。高校では米文学の授業を受ける。お昼はカフェテリアで食べて、小さいパックのジュースも飲む。授業はまだ明るいうちに終わって、塾に行くか、お母さんの車で帰る。友達と街に買い物に行くこともある。でもやっぱり、高校の生活はお母さんとの生活の中の一部だった。それはまだお母さんの延長にすぎなかった。


あのあと、大学へ行って、社会人になったら、お母さんの延長ではなくなるのだろうか? そんな気もする。でもそれでも、ある日、夜、生まれ育ったのとは違う家で、ふとお母さんに電話をかけている気がする。


ある女の人を愛することとお母さんを愛することはぜんぜん違う。私にとっては。似ているという人もいる。でも私にとってはそうではなかった。


お母さんに、いらいらしたり、軽蔑することは、多分ないから。どれだけそう思うことはあっても、それは本心ではないから。お母さんにほんとうにそういうふうに、不快の感情を向けることは、多分ない。それを向けるのは多分他人だけだ。他人だから憎むのだ。


それだからいい、他人のほうがいい、と思っていたこともあった気がする。でもいまはよく分からない。


お母さんの延長に戻りたいという気はする。まだ暗い家のなかで、お皿にいっぱいの適当なスクランブル・エッグを頬張りたい。夜明けを列車の窓から見たい。夜明けの光が校舎に反射するのを見たい。ダンスの授業に出たい。サンルームに置いてある本の背表紙を読んでいたい。プエルトリコからきた友達とつるんでみたいし、華僑の子たちに住んでいる街を案内してもらいたいし、日本語を勉強している金髪の先輩と携帯メールをしてどきどきしたい。家のカウチで。二匹のビーグル犬と一緒に。かわいい雌と雄の。そして街の有名な建築を観にいく。


覚えているようで詳しいことは覚えていないものだ。どこかに書いておけばよかったのにと思う。それかまた行かなくてはいけないのだろう。


でもそんなことは全部今からでも叶えられるような気もする。もう既に叶えているような気もする。でもあの不安でわくわくして満たされた気持ちにならないのはどうしてだろうか。アメリカと日本では湿度が違うからだろうか。どうしてあんなに、おぼつかなくて、そしてなにもかもを手に入れていたのだろうか。


そんなことを問う必要もさして感じていない。もう書くということに突き動かされてはいないのだ。


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だれかに愛されないけれどだれかを愛する、そんなことはすぐにつまらなくなる。いやたぶん、そんなことは愛するとも言わない。


そしてそんなことを、気にしてもいない、もはや、たぶん。単純な愛は、単純に脆くなる。


冷めた、のかもしれない、でもたぶん、愛したことだって、なかったのだ。これで正常に戻ったのだ。